その1より続きます。
今考えると
“私が助けてもらったみたいに私みたいにいつも悩みを抱えている人の手助けをしたい”と思いはじめて、全てがそちらのほうに向かってたみたいです(^^)
自然にスピリチュアルに向かうようになってたんですね。
よく≪使命≫という言葉を聞きますが、“あなたはこんな人生を送りなさい”という何かに指示されるような≪使命≫というものはないと思っています。
ただ、生まれてくる前に≪こういう人生の体験をしたい≫と自分で思って生まれてくるんだと思っているので、それが≪使命≫ともいえるのかもしれません。
私の人生には“スピリチュアルに向かう”ということが含まれていたんだと思います。
私がすごく惹かれたセミナーがありました。
そのセミナーは“スピリチュアル”という名前のつくものではなかったんですが、そこで物事、出来事のとらえ方、見かたというものが現実を作っていたということを学びました。
その1でコメントを頂きましたので(^^)今回はその事を中心にご紹介したいと思います。
当時の私はいつも悩み事で頭がいっぱいでした。
逆に悩み事が心にないと探してでも心に入れてたみたいな(^^ゞそんなキツイ状態だったと思います。
一番よく悩んだことが「私が発した一言で相手を傷つけた」ということでした。
これは実は逆にいつも自分が“人から言われた一言で傷ついていた”ということだったんだと思います。
「あの人の一言で傷ついた」
とよく普段の会話の中でもでてきますね。
例えばですが、
Aさんが「○○さんって、慎重派だよね」と言ったとします。
『Bさんにはほめ言葉に、 Cさんには嫌みに聞こえた。』
ということがあります。
同じ言葉なのに、それを聞く人によって違って聞こえるんです。
どうしてCさんには嫌みに聞こえたのでしょうか。
Cさんは几帳面な性格で、出かける時にもあれやこれやと準備に時間がかかっていたのかもしれません。それで「なんでいつも遅いの?何に対しても慎重すぎるんだよ!」と言われ続けてきたのかもしれません。
それでCさんは「あ~慎重って人に迷惑かけるのか」と思ってしまっていたということが考えられます。
Aさんはというと、面倒くさがりでいつも何か忘れ物をしたり、でもそういうのをなくしたくて、頑張って慎重に行動するように気をつけていたのかもしれません。
そう考えると、「慎重派」と言う言葉を言われてAさんは「やった~」って嬉しくなります。Bさんは「やっぱり私は・・・」と悲しくなります。
俗に言う“トラウマ”というものです。私は観念といったりもします。
観念というのは成長するにつれてどんどんと自分の周りを固めてしまいます。
例えばお母さんが男の子をを出産したとします。
それでその子に「男の子だから強くなるんだよ」と言って育てたとします。そしたらその子は「あ~男の子は強くないといけないんだ」って思ってしまうんですね。
そうするとその子が自分が強くないなと思うことがあったときに“自分は強くなくてだめだ”と思ってしまう可能性があります。
また違うお母さんは「男の子は優しくないといけないよ」と育てるかもしれません。
そうすると「優しいのが男だな」と思います。そして優しくできなかったときに同じようにだめだな~と思ってしまう可能性があります。
これはお母さんの言い方が悪かったということではありません。
お母さんは本当に心から“そうなってくれればこの子は色んな事があっても困らずに生きていける”って思って教えるのです。
そう。お母さんにも自分の『観念』といものがあります。これが正解だということを心の中に持っています。
そのお母さんの観念もまた、そのまた親や周りの人たちによって作られました。
そうやって考えると
人が発する言葉に「良い」も「悪い」もないんです。
例えば悪意を持って言葉を発したとしても、受け取る相手が自分の中に傷つくワードを持っていないと何も感じないんです。
時々すごい事言われてるのに全然動じないよな~っていう人いませんか?
それは自分の中には傷つく言葉があるのに、言われた人にとっては傷つくワードがないということです。
出来事でも同じことがいえます。
例えば先日AKBの子が坊主頭になって反省していましたね~
そして今少しずつテレビにでてくるようになって「今は仕事選べないのでなんでもやります!」と言っていました。
私は「色んな事も言われるだろうけど、それよりももっと頑張ろうって思っている姿がかわいいな」って思いました。でも中には「やっぱり芸能人ってずぶといな」って思う人もいるかもしれません。
またこの意見に関しても良い、悪いはないですよね。
最初の例にでてきた「慎重派だよね」と言った人にもその人なりの考えがあり、その人の中の「慎重」という基準で言っているだけなんです。
まとめると
人の言葉や行動には本当はなんの意味も含まれていないということです。
自分が自分の観念によって見える見え方で判断しているだけということなんです。
瞬時に1秒の誤差もなく人の言葉や行動に自分の中だけの感情を重ねてみているということなんです。
現実に起こっていることと、自分の中にある感情を別、少し距離を置いてみるという習慣をつけることでだんだんと、「あ~こういうことだったんだ」というのがわかってきます。もちろんすぐに悩みが解消されるということはありませんが、視点を変えることで徐々に気持ちが軽くなってきます。
この視点を変えてみるという考えと同時に“トラウマを癒す”ということをやっていくとスピードがアップします。それはヒーリングや瞑想などです。
スピリチュアルの方の手を借りたり、また自分でやろうと決めれば必ずできるようになります。
変わりたいと思えば自然に良くなっていくものです。
スピリチュアルの方にお願いする時には“その人に心が動いてわくわくしてしょうがない”という方にお願いするといいと思います。
またこのブログでもたくさんの情報を発信していきたいと思っていますので、よかったらちょくちょく覗いてください♪
このような、不思議なようで不思議でない 今までとは違う考え方をするというのも一つのスピリチュアルといえるんです(^^)