私達って、小さいころから良い事をすると褒められます。
悪い事をすると怒られます。
それをベースに人間がつくられていくと言ってもいいと
思います。
先日、ある関係で外国の中学生二人がうちにホームステイ
することになりました。
その子たちはyes noをはっきりいって、「○○したいです」と
いう意思表示をはっきりしました。
ただ、こちらが「こんな理由でそれはできないよ」というと
「でしたら、こういうのはできますか?」と言ったりそれも
できないようなことだったら、「はい。わかりました。
もちろん大丈夫です(^^)」という返答をしました。
これはこちら側からすると、とても気持ち良く感じました。
私のほうもせっかく日本に来たんだから、日本を満喫して
ほしいなと思っていたので、嬉しかったです。
日本の子供と何か違うな~と思ってみていました。
日本は昔から遠慮や我慢が美徳とされてきたようなことがあります。
例えば嫌だな~と思っても我慢して従ってしまうとか、何か言いたい事
があっても遠慮して言わないとか。
もちろん日本が悪いといっているわけでもないし、比べてどうのこうの
批判したいわけでもなく、全ての日本の子がそうだと言ってるわけでも
ありません。
ある他の外国の方に「日本って、人によって場所によって態度や言い方
を変えますよね?でもそれは日本の素晴らしい文化でもありますね」
と言われたことがあります。
なるほど~そういう見方もあるのかと思いました。
どうして、こんなにyes.noがはっきり言えるんだろうと考えた時
あることを思いました。
感じたのは親に愛されているということです。
否定されないで育ってきたんだろうな~と思いました。
どんな意見を子供が言っても否定しない。
日本の子は愛されていないのか?もちろんそんなことはないですよね。
日本の子もじゅうぶんに愛されています。
ただ、愛され方が違うのではと思いました。
うちの親や私も含めですが、否定してしまうことが多いような気がします。
「あれダメ、これダメ」そして「こうしなさい」「あーしなさいと」
もちろん全ての家庭がとはいいません。
そうやっていると自分の意見が言えなくなります。
この場ではっきりyes.noを言うのは失礼なんだとか、意見を言うと悪い
ような気がしてその人に合わせてしまうとか。
これが日本では良しとされてきたことだと思います。
だからこれは間違いではなく「愛」だと思って、こどもにやっている
ことだったりもします。
でも、自分意見をぐっと抑えて合わせる、それだと体にも心にもいいわけ
ありませんよね~
私はここで必要なのは心の解放だと思います。
本当の自分の心を離すと、人とぶつかるかもしれません、
嫌な人、変わった人と思われるかもしれません。
でも、それでいいと私は思います。
「だってこれがわたしなんだもん!」と素直になった者勝ちだと。
なんでも急には難しいかもしれませんが、一歩でも前にすすめると
いいかなって思います。
例えば、気持ちが乗らない会合に参加予定にしてたけど、思い切って
ことわってみる。
など、少し自分の心がほっとする方向に気持ちを向かわせていくと
いいのではないかな~って思います。
「うちの子は何も自分で決められないの~」なんてことを言われている
親御さんは、子供の意見より自分の都合や体裁を優先して、子供よりも
先に返事や選択をしていないかということを考えてみてもいいのでは
ないかなって思います(^^)